対日戦勝記念日
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2010/07/02 23:51【共同通信】
【モスクワ共同】タス通信などによると、ロシアの最大与党「統一ロシア」の議員らは2日、日本が第2次大戦後、降伏文書に調印した9月2日を大戦終結の記念日として制定する法改正案を下院に提出した。
ラブロフ外相は今年が終戦から65年に当たると指摘した上で「極東での戦勝に言及することがとても重要だ」と述べ、制定への支持を表明。ロシアは北方領土問題で「第2次大戦の結果の見直しは許さない」と主張しており、戦勝を強調することで日本の領土要求をけん制する狙いがありそうだ。
提出に加わった下院の国防委員会のザバルジン委員長は、1945年に調印された降伏文書について「ソ連の対日参戦の適法性を確認したものだ」と強調した。
ロシア紙「独立新聞」は3月、大統領府に近い筋の情報として、法案は政権上層部の承認を得ており、上下両院を通過し、大統領の署名で発効する可能性が高いと報じていた。
対日戦勝記念日の法制化は、極東サハリン州が長年、連邦政府に働き掛けてきた。
「対日戦勝記念日」制定にロシア国民の反応は?
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2010.04.08(Thu) コンスタンチン・サルキソフ JBPRESS
ロシアは、今年5月9日にナチス・ドイツに対する戦勝65周年を祝う式典の準備を急いでいる。ロシアにとってはこの記念日のほかに、旧ソ連時代のもう1つの「勝利記念日」がある。
それは9月2日の「日本軍国主義に勝利した日」である(1945年9月2日に、日本はソ連を含む戦勝国を相手に降伏文書に調印した)。
ソ連崩壊後に対日戦勝記念日はなくなった。だが、3月23日にロシアの「独立新聞」は「近いうちにロシア議会にその記念日を復活させる議案が提出される」と報道していた。そのニュースをロシアの主要通信社が伝え、日本のマスコミも報じていた。
日本では「ロシア政権による愛国心高揚策の一環」だという捉え方もあったが、一概にそうとは言えない。対日戦勝記念日の復活は今までにロシアで10年以上も取りざたされてきた。連邦議会でも復活させようという動きは何回もあった。ところが毎回政府に押さえ込まれてきたのである。
今回の議案提出には、クレムリンのバックアップがある。大統領府に近い筋によれば、記念日の復活は「大統領府での会議において議論され、極めて高い支持が得られた」(独立新聞)という。要するに、クレムリンからの合図を受信した議会が動き始めたわけである。
プーチン・メドベージェフ政権の態度が変化した理由を考えると、鳩山政権の「4島一括返還論」と4島の「不法占領」決議への対応だと判断できる。
ロシア世論の反応は冷ややか
しかし、ロシア世論の反応は政府とは対照的に冷ややかだ。独立新聞は、対日戦争は「ドイツとの戦争とは基本的に違っていた」と分析している。ロシア政府の公式見解とはかなり異なる見方である。
・日ソ戦争は、日本ではなくソ連の方から正当な理由なく攻撃を仕掛けた戦争である(ソ連は1945年8月8日に日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告した)。
・日本の敗戦によってソ連は南サハリンとクリル(千島)列島を取り戻した。しかし、その領土のすべては、必ずしも日露戦争(1904~1905年)で失ったものではない。
・日ソ戦争で戦死したソ連兵は約8200人。ドイツとの戦争における戦死者の数は数百万人単位であり、それと比べると桁違いに少ない。
・対日戦争はよく計画され、実行されたものであった。しかし、国民の感情に火をつけるほどの「悲劇と栄光の出来事」とは言えない。そのため、国民の中にこれを記念しようという声は沸き起こっていない。
対日戦争を客観的に正しく見ようという動き
真実を尊重して曇りのない目で歴史を見るのは、どこの国においても極めて難しい作業である。長年にわたって「国家による『公式』歴史観」が支配していた国では特に難しい。
現在のロシアでは、ソ連時代から続く「公式歴史観」と、リベラルな歴史観が対立して存在している。対日戦争の記念日復活を巡る意見に食い違いが見られるのはそのためである。
ネット上では、対日戦争を客観的に「良心の立場」から見ようという動きが現れてきている。注目すべきなのは、リベラルな筋だけではなく、今まで愛国主義的だった人たちの中にも記念日復活に反対する意見が現れているということだ。
その1つに、「正教・君主制・民族心」のスローガンで活動している民族派の「ロシア・ライン」というサイトがある。
3月9日、同サイト上で、ロシア正教イルクーツク州教区の宣教部長のプシカリョーフ主席司祭が自らの見解を発表した。「極めてまっとうな道義と正義の立場から、対日戦争記念日の復活に反対する」と主席司祭は訴えている。
「疑念を抱かれる歴史については黙っているべき」
主席司祭は、こう断言する。「我々がその戦争に勝利したことは間違いないが、日本を攻撃したのは我々である。もしも我々が日本から攻撃されていたら、領土と賠償を要求する権利があっただろう。しかし、事実はそうではない。逆に日本は、あの戦争で我々が不法占領した領土を1875年条約(サハリン千島交換条約)の範囲で要求する権利がある」
一方で主席司祭は、人道に反する犯罪を伴った日本の朝鮮併合や、満州事変から始まった中国に対する侵略を取り上げている。また、ノモンハン事件、真珠湾攻撃やシンガポール陥落等々の侵略戦争のいきさつにも触れる。そして、主席司祭は、南北朝鮮や中国、モンゴルと米国と英国には、対日戦争の勝利を祝う権利があるという。しかし、ロシアにはその権利はないと主張する。
日露戦争での敗戦の報復として、ソ連が「帝国主義的な略奪者」としての行動に出たのが対日戦争であったと論じている。
意見書の最後には、「我々が公明正大に戦って勝ったドイツとの偉大な戦争は、勝利を記念する必要性が十分にある。しかし、疑念を抱かれる歴史については、黙っていた方がいいのではないか」とまとめている。
プシカリョーフ主席司祭は、生粋のロシア人である。1967年生まれで、7人の子供がいる。80年代にソ連軍に懲兵され、90年代にイルクーツク国立大学を卒業してから聖職受任を行った。シベリアではかなり有名なオピニオンリーダーの1人である。
主席司祭が意見書を発表すると、ネット上で活発な議論が沸き起こった。主席司祭に賛成する人たちは「対日戦争のことは、あまりよく知らない」「決して喜ぶべき勝利ではなかった」と言う。主席司祭がソ連を「帝国主義的な略奪者」と表現したことにいらだっている人も少なからずいたが、記念日を復活する必要がないとの意見は圧倒的に多い。
しかし、今のところ政府は聖職者の意見を無視して対日戦勝記念日を復活する公算が大きい。
(wikipedia参照)