防衛省
“ガラスの国防政策”が粉々に砕け散る?
日経ビジネス 2010年8月16日(月)鍛冶俊樹
政府は『防衛白書』の発行を延期した。この件は一部マスコミでも報じられたので、ご存じの方も多いだろう。しかし、これは単なる延期で済ませていい話ではなさそうだ。
まず事実関係を整理しておこう。防衛省は当初、『防衛白書』を7月30日に政府の閣議了承を得て発刊する予定だった。『防衛白書』は毎年刊行されており、これは例年通りのことである。ところが7月27日に首相官邸は突如「了承を見送る」と言い出した。これが騒動の発端である。
官邸と防衛省で食い違う説明
なぜ了承を見送ったのか? 実に奇妙なことだが、この理由が明快ではないのだ。各者の説明が食い違う。当の官邸は「直近の北東アジアの安全保障上の重要事項を書くべきだとの指摘があった」と説明している。3月に韓国の哨戒艦が撃沈された事件が記述されていない点を突いているようだが、防衛白書は年刊であり、前年ま での出来事を記述するのが普通である。
従って、「これは表面的な言い訳に過ぎず、真相は別にある」というのがマスコミの見立てとなる。多くの報道に目を通したが、それは「韓国への配慮」であるらしい。『防衛白書』には「我が国固有の領土である竹島の領土問題が未解決」旨の記述が4年前から入っており、韓国政府は毎年反発している。
今年の8月29日は日韓併合100年に当たる。そこで韓国政府を刺激しないように、了承を8月29日以降に延期したというわけである。
マスコミに共通した説明であるから、防衛省側の説明なのだろうと推測できる。もちろん、マスコミはこの説明に対しても批判しており、「8月29日以降に発刊が延期されても反発しないという保証はない。むしろいつ発刊しようが反発は必至だ」としている。
官邸と防衛省の説明が食い違っているわけだが、筆者は背景として政権内部に『防衛白書』そのものへの反感があるのではないかと考えている。言うまでもなく、菅直人政権には全共闘世代が多い。第1回の『防衛白書』が発刊されたのは1970年、中曽根康弘氏が防衛庁長官だった時だ。
当時、暴力闘争に明け暮れた全共闘の学生たちは日米安保に反対し自衛隊にも否定的だった。そんな風潮の中で防衛の必要性を訴えるために出されたのが『防衛白書』である。そのため、『防衛白書』そのものを軍国主義のプロパガンダとして白眼視する向きも少なからずあったのである。
いずれにせよ、真相は現時点では闇の中だが、ここで浮上してくるのは、「防衛白書はもはや発刊されないのではないか」という懸念である。というのも、防衛省としては8月29日以降でなるべく早く閣議了承してもらいたいところだが、官邸としては世間も韓国もこの問題を忘れた頃にひっそりと刊行するのが得策と考えるだろ うからだ。
ところが9月には民主党の代表選挙があり、菅政権の存続そのものが危ぶまれている。仮に存続するとしても内閣改造ぐらいはありそうである。つまり首相も官房長官も防衛相も顔ぶれが変わるかもしれず、防衛政策への姿勢そのものが変化してしまうかもしれない。そうなれば防衛白書の記述も根本的に見直さなくてはならなく なり、結局、『防衛白書』の刊行自体が見送られる可能性が強まってくる。
『防衛白書』は防衛政策の総合便覧であり、これを見ると防衛政策の全貌を知ることができる。国民への広報のためだけにあると思われがちだが、実はそれだけではない。防衛省は陸幕、海幕、空幕、統幕、内局などからなる複雑な組織であり、そのまとまりの悪さは定評がある。また防衛省は弱体官庁であり、他省庁や政界に対 してほとんど発言権を持たない。
このバラバラで弱体な官庁が40年間かけて各部署、他官庁、政界と調整を繰り返し積み上げた合意文書にほかならないのが『防衛白書』である。ひとたび見直すとなれば、ガラス細工のように組み上げられた繊細な防衛政策の体系は粉々に砕け散るかもしれない。
もちろん、文書の上だけの防衛政策の崩壊なら、再び合意を取り直せば再構築は可能だ。だが物理面での崩壊が起これば、立て直しは困難だ。そして、物理的な崩壊も現実のものとなるかもしれないのである。
“10対0”と“10対1”は大きく異なる
菅内閣は来年度予算の概算要求基準を決定したが、何とその内容は、各省一律前年度比10%削減である。一律10%とは言うものの、社会保障費や地方交付税を例外とし、さらには特別枠が設けられている。つまり、うまくすり抜けられる官庁もありうるのだが、防衛予算は逃れようもなく標的にされる公算が極めて大きい。
防衛予算は今年度約4兆8000億円であるが、4割以上を占める人件・糧食費や約2割を占める訓練活動経費を大幅に削減することなど不可能だ。大幅削減が可能な分野は、実は兵器購入費の約8000億円である。だが防衛産業はほとんど最低限の利益も見込めない状況で兵器を納入している。末端・下請けの企業に至っては廃業寸前だ 。
もしここを10%すなわち約4800億円分を削減したら、防衛産業の多くは倒産するか業種転換をするかの選択を迫られるだろう。兵器が納入されない自衛隊など抑止力どころか屯田兵にもならない。つまり、事実上、防衛基盤が崩壊してしまうのである。
日本の防衛力の本質は、兵器の性能そのものだといっても過言ではない。その好例がF15戦闘機である。この米国製の戦闘機は1982年のレバノン内戦、1991年の湾岸戦争で旧ソ連製の戦闘機と対戦し敵機を多数撃墜しながら1機も撃墜されていない。言うなれば“10対0の完全試合”を実現しているのだ。
そんな戦闘機が日本にも約200機配備されている。周辺国の空軍が戦闘を挑む気にならないのは当然だろう。要するに、これが抑止力である。
だが、この“10対0”という数字が“10対1”に変わるだけで、もはや抑止力は成立しなくなる。1950年に始まった朝鮮戦争では米国のF86戦闘機が中国人パイロットの操縦するソ連製戦闘機ミグ15を792機撃墜している。一方、ミグ15はF86を78機撃墜した。まさに“10対1”であり、F86の圧勝に見えるが、米国にとっては厳しい戦 いだった。なぜなら抑止に失敗しているからだ。相手に少しでも損害を与えられる見込みがある場合、敵は戦闘を恐れない可能性がある。
日本にとって抑止力は、さらに厳しい意味を持つ。米国の場合はいざとなったら実戦で決着をつけることができる。日本の場合はそもそも戦うことが許されていない。つまり常にシミュレーション上、“10対0”というハイスコアを維持し続けなければならず、これが“10対1”となれば相手は戦いを挑んでくるかもしれない。そし て、挑まれたら事実上、退却するよりほかないのである。
日本が米国の最新鋭戦闘機F22を喉から手が出るほど欲しがるのはこのためである。F15が今でも強力な戦闘機であるのは事実だが、中国が配備を進めている戦闘機との戦闘を想定した場合、“10対0”のスコアを維持するのは困難になりつつある。
ところが米国は既にF22の生産停止を決めている。代替機のF35を推薦しているが、これは開発中で納入がいつになるか分からないという。このような状況下で予算の10%減が実施されてしまうと、最新鋭戦闘機の取得はほぼ不可能となり、航空自衛隊の抑止力は崩壊するのである。
自衛隊は特に中国との戦争を計画しているわけではない。ただし、中国が海軍力や空軍力を増強している現状では、中国が新たに配備した兵器と自衛隊の兵器との性能や数量の比較を行わないわけにはいかない。そして自国の抑止力に陰りが出そうであれば、増強を目指すのは当然と言えよう。
海上自衛隊は最近、潜水艦を2隻増強し、現在の18隻体制から20隻体制に移行する方針を固めた。中国が潜水艦を増強しているのに対応したものである。2004年に中国の原子力潜水艦が我が国の領海を侵犯し、間近くはこの4月に通常型潜水艦2隻が駆逐艦などに随伴して浮上したまま琉球列島を通過した。
潜水艦が浮上したまま航行するのは敵意のないことを示す行為だが、同時にこのロシア製のキロ級潜水艦が他国に全貌を晒しても構わないことを示してもいる。つまりもっと性能のいい潜水艦の配備が進んでいるのである。
こうした状況で、海上自衛隊は潜水艦の増強を図ろうとしているのだが、問題は予算だ。1隻で約500億円かかるから、2隻で合計約1000億円が必要になる。10%減の方針下でこの金額を獲得するのは困難であろう。
昨年に続いて今年も先送り?
年末までに防衛省は防衛計画の大綱を策定し、閣議決定を得なくてはならない。これは今後何年にも及ぶ防衛力増強の大枠を決めるものであり、防衛予算の大枠もここで決まる。実は昨年末に決めなければならなかったのだが、政権交代で今年に先送りになった経緯がある。
今年こそは決めなくてはならないのだが、果たして予算10%減という方針下で策定は可能であろうか? まさか新大綱で毎年10%減と謳うわけにもいかず、さりとて「防衛予算は特別扱い」と宣言するとも思えない。
結局、再び先送りの可能性も否定できない。そうなると防衛力整備の根拠がなくなってしまう。そんな状態が続けば、陸自削減論が与野党を問わず国会で台頭してくるのは避けられないだろう。
今、まさに防衛省崩壊の序曲が永田町に奏でられつつある。