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農薬:栽培期間中不使用自然栽培米 南魚沼産コシヒカリ 10.24 日本酒から「バブル」誕生(群馬県・永井酒造)

MIZUBASHO PURE
http://www.mizubasho.jp/a/J_PURE.html

南魚沼産コシヒカリ 03.16(Mon)JBプレス志方拓生

「清酒」瓶から液体をグラスに注ぐと、シャンパンのような一筋の泡(バブル)がすーっと・・・。

 発泡性の日本酒「MIZUBASHO PURE」を商品化したのが、群馬県の静かな山間にある永井酒造(利根郡川場村)。創業120年を超える老舗の4代目、永井彰一社長が不思議な酒の開発者だ。

11年前、ワイン界で「マン・オブ・ザ・イヤー」として知られる、フランス人のジャン・ミッシェル氏が永井酒造を訪れた。世界屈指のワイン醸造家は日本酒の味わいに魅かれる一方で、「ワインと比べると、アルコール度がちょっと高い。そこがネックかな・・・」と言い残して帰国した。この一言が、永井社長の頭にこびり付い て離れなかった。

 そこで、吟醸酒と古酒をアレンジし、アルコール度数を抑えた商品を開発した。ところが、全く売れない。「テイストが中途半端だった」と永井さんは苦笑する。

 しかし、1度の失敗ではへこたれない。「瓶内で2次発酵させ、シャンパンのようにスパークリングする日本酒ができないだろうか。消費者に与えるインパクトは大きいはずだ」と思いつき、再チャレンジに打って出た。

 酒税法上のカテゴリー「日本酒」を徹底して守るため、商品開発には3つの大きな課題があったという。まずは、ガス圧。シャンパンと同じ「瓶内2次発酵」に成功し、法定基準もクリアした。

 この2次発酵には、澱(おり)と呼ばれる「にごり」が必要。日本酒の場合、その量はシャンパンよりはるかに多い。通常の方法で、その澱を抜き取ろうとすると、酒として使いたい部分まで相当な量が失われてしまう。「抜き方が全く分からない」

行き詰まり、仏シャンパーニュへ!

 行き詰まった永井さんは渡仏を決断、シャンパーニュ地方に乗り込んだ。そして、シャンパンの伝統的な「澱引き」の方法からヒントを得て、自己流のアレンジを確立した。

最後に立ちはだかったのが、微妙な温度管理。瓶内2次発酵は、蔵にあるタンクの中と同じ状態だ。従って、1本1本きちんと温度を管理しないと、品質を一定に保持できない。何とか採算ラインとなる1000本単位で管理できるようになり、「スパークリング酒」の商品化が見えてきた。

 ようやく2008年冬、泡の出る日本酒「MIZUBASHO PURE」の発売に漕ぎ着けた。日本酒業界のみならず、ワイン製造の関係者からも称賛の声が上がり、外資系の高級ホテルが取引先に加わった。それまでは通常の清酒のプレゼンテーションを行っても、「いい商品だけど・・・」で終わることが多かった。だが、新商品の反応は全く違うという。

 完成した商品のボトルを握り締め、永井さんは「清酒」の2文字を指差す。「リキュールで作ったら簡単だが、この『清酒』を守らなければ何の意味もない」。10年に及ぶ苦闘を支えたのは、蔵元の「こだわり」なのだ。国内で製法特許を取得したほか、国際特許も申請している。

継がないはずが・・・35歳で社長就任!

 小学校の卒業文集に将来の夢を「酒造業」と書き残すぐらい、永井さんは3代目の父親から「英才教育」を受けた。高校生になっても「継ぐしかないだろう」と覚悟を決めていたが、大学卒業後にカナダへ渡ると「継ぎたくない」に。さらに、「絶対継がない」へエスカレートした。

 「当時のウチは、地酒でなく地の酒。蔵の周囲20キロでしか売っていなかった。主力銘柄の『力鶴』が『頭鶴』と揶揄されていたのは、ウチの酒を飲むと頭が痛くなるから・・・」。青年の目には、家業が魅力的に映っていなかった。

 とはいえ、やはり故郷が気になる。米国のスキー場で就職口を見つけたが、これを蹴って1989年に帰国。実家で働き始めたが、内心は「早く潰れないかな」。米国滞在中、大手酒屋チェーンの価格破壊を目の当たりにし、「日本もいつかそうなる」と確信。規制緩和で定価販売が崩れれば、「うちの蔵が生き残れる道はない」と考 えていたのだ。

 そんな思いを抱いていた時、ある酒屋さんに「もう少しちゃんと酒造りしなさい。お宅の杜氏さんは優秀だから、絶対いい酒ができるよ」と諭された。「ラッキーな出会い」と振り返る永井さんは、各地の蔵を歩いて回った。

 新潟県内のある蔵で麹(こうじ)づくりを見て、永井さんは実家とのあまりの違いにショックを受けた。

馬に戻り、「なぜウチは、こういうのができないのか」と杜氏に尋ねると、「コメがないからだ」と相手にもされなかった。そこから、コメ探しの奔走が始まる。その一方で、親を説得して新しい蔵を建てた。

 「永井酒造もこれで終わり。2年で潰れるよ」と同業者はささやいた。だが、永井さんは規制緩和の波を先読みし、「量から質へ」シフトしていた。1992年、地元の柔らかい水で造った「尾瀬の酒 水芭蕉」を世に送り出し、ヒットを飛ばした。

 売り上げを順調に伸ばしていた矢先、1996年に父、99年には母が相次いで他界した。永井さんは35歳で社長に就任。「酒造りに携わり、北海道から九州まで酒屋さんの取引が拡大し、雑誌に載るようにもなった。何だ、簡単じゃないか」

 しかし、驕りは「酒質低下」という仕返しをもたらした。失った信用は、質を元に戻しただけでは回復できない。品質追求の大切さを身をもって学んだ。その後、永井酒造は全国新酒艦評会で金賞を7回(通算12回)受賞している。

いつの日か、パリの3ツ星に!

持ち前の国際感覚を活かし、永井さんは香港やカナダ、米国でも販路を開拓。年商は1990年代前半の2億5000万円から、5億8000万円まで押し上げた。

外でも日本食が一過性のブームではなく、定番メニューに成長し、日本酒の需要も拡大するはず。ロサンゼルスやニューヨークに加え、永井さんは「パリやロンドンが外せない市場になる」とにらんでいる。

 「仮にパリの3ツ星レストランで『MIZUBASHO PURE』が認められたら、日本人は絶対に手に入れたがるはずだ」。永井さんの積極的な海外攻勢は、同時に国内市場対策でもある。

 仏シャンパーニュの人々がシャンパンを地域全体の誇りとするように、この「スパークリング酒」を地元の活性化につなげたい。永井さんの挑戦は、酒造りにとどまらない。

 

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