ドラッカーで読み解く農業イノベーション(最終回)
2011.02.04(Fri)JBプレス 有坪民雄
「イノベーションを行う人たちは小説の主人公のようではない。リスクを求めて飛び出すよりも時間をかけてキャッシュフローを調べる」
(『イノベーションと企業家精神』ピーター・ドラッカー著、上田惇生訳、ダイヤモンド社)
農業を論ずる人たちの周囲に農家はいるのか!
近年、日本農業を取り上げるメディアの報道や、日本農業を論ずる人たち、特にTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関する議論を見ていて気になることがあります。TPPに賛成、反対を問わず、農家と議論した経験がないのではないかと思える主張が目立つように思えるのです。
30年以上前は、そうではありませんでした。大規模化して大量生産すれば農業問題は解決するかのような単純な論調もありましたが、そうした主張を肯定しつつも、農業に携わる人たちに対する同情的な視線を感じる論も少なくありませんでした。
例えば、大規模化したいが、周囲の兼業農家は兼業といえども熱心なので、土地を貸してくれない。だから規模拡大は難しい・・・、そんな現実を踏まえた主張も多かったのです。
そうした論調がいつから減ってきたのか。個人的には、大前研一氏が20年ほど前に「練馬で大根を作る必要があるのか?」と言った頃からではないかと推定していますが、自信はありません。
ただ、大前氏の論理が通用するようになった背景は想像がつきます。論者の周囲に農家がいなくなったのです。
30年以上前なら、メディア業界にも多くの農村出身者がいました。実家が農家だったり、農家出身者の友人が何人もいたはずです。なぜか? 高度経済成長を支える人材は、主に農村から集められていたからです。メディア業界だけでなく、日本の産業会全体が農業を知る者であふれていたと言ってもいいでしょう。
一方、現在、産業界の人材供給は、主にサラリーマン家庭が担っています。メディア業界でも、農家出身者はごく少数なのではないでしょうか。
また、農家は基本的に理系の職業なので、文系の経済学や経営学といった分野をベースとした議論が苦手です。そのため、論壇に上がってくることがほとんどありません。
メディア業界や論壇で、農家出身者や農家を友人に持つ人が大幅に減ってしまった。そのため、農家の実情にそぐわず、農家の主張を無視した論が幅を利かせるようになったのではないか? 私は、そんな仮説を立ててしまいます。
理屈は正しいけれども使えない戦略!
最近、しきりに言われる「農業の6次産業化」などはその典型に思えます。
6次産業化とは、東京大学名誉教授の今村奈良臣氏が提唱した、農業が「1次産業+2次産業+3次産業=6次産業」になるべきだとするキャッチフレーズです。
農家が農産物生産だけをやるのではなく、農産物を使った加工食品を生産し、自前で流通させることで、食品メーカーや流通業が得ていた利益を奪取してしまおうという提言がなされています。
この主張は、戦略としては非の打ち所がありません。しかし、農家から見るとそれほど説得力があるわけではありません。「理屈は分かった。でも、やる時間はあるのか。成果は上げられるのか」といった疑問に対する答えがないからです。
また、農家の中には、6次産業化という言葉を知る、知らないにかかわらず、彼らなりに努力をしているところが少なくありません。農協にコメを出すだけでなく、インターネット通販に挑戦したり、ご近所の主婦が集まって漬物やパンなど加工食品を作っている例など、探せばいくらでも出てきます。
ただ、地域の話題としてメディアに取り上げられても、間違いなく成功したと言えるものはそれほど多くありません。
その理由は簡単です。2次産業や3次産業に本格的に出ていくには、経営資源が不足しているのです。
中でも欠けているのは、人材と時間です。日中に農作業をして、夜に食品加工をすることはできるかもしれません。しかし、商品を売りに営業に行けるでしょうか? 配送まで手が回るでしょうか?
週末起業でも大変なのに本業を増やせるのか?
一世を風靡した「週末起業」を考えてみてください。
2003年、経営コンサルタントの藤井孝一氏のベストセラーによって「週末起業」が話題になりました。賃下げやリストラの不安に脅えるサラリーマンに向けて、会社を辞めずに副業を始めることを提案する、ユニークな主張でした。
しかし、週末起業は、実際にやるとなると大変です。藤井氏自身は「簡単でもありませんが、不可能でもありません」と言っています。逆に言うと、相当な覚悟がないと続けられないのです。副業とはいえ、労働時間が年間数百時間増えるわけですから、少なくとも休日はなくなるか、平日の睡眠時間を削らなければならなくなるのは確実です。
藤井氏が勧めるのは、「好きなこと」「できること」「得意なこと」「チャレンジしたいこと」「事情があって仕事にできなかったこと」をビジネスにすることです。確かにそんなビジネスでないと、会社勤めをやりながら副業を継続していくのは難しいでしょう。
多角化は余裕があってできること!
83年、経済誌の「日経ビジネス」は「企業の寿命30年説」を唱え、社会に衝撃を与えました。翌年、日経ビジネスはこの主張をもとにした書籍『会社の寿命─盛者必衰の理』を発行し、ベストセラーとなります。
「企業の寿命は30年。このサイクルから逃れるためには多角化しかない。本業が儲かっているうちに、未来の本業となる新しい収益源を作るべきである」とする日経ビジネスの主張は、当時のビジネスマンたちをぞっとさせる、強烈な説得力を持っていました。
第2次オイルショックを潜り抜け、自信をつけてきた日本の経営者は、この主張通りに多角化に邁進します。
ただし、それができたのは、バブル経済真っ盛りで、経営余力が十分にあったからでした。それに対して、今は余力がありません。それゆえ「選択と集中」と呼ばれる戦略がもてはやされているのです。
話を戻します。週末起業ですら、実際にやるのは大変です。しかも、こんな時代に、農家に「本業として」多角化を提案することが正しいのかどうかは、議論の余地があるところです。
それでも農家は死なない!
ドラッカーは、イノベーションを成功させる条件として以下の3つを挙げます。
(1)イノベーションは集中でなければならない。
(2)イノベーションは強みを基盤としなければならない。しかも相性も重要である。
(3)イノベーションは経済や社会を変えるものでなければならない。
多くの農家にとって、集中できるだけの時間や人材がないのが現状です。しかも、食品加工や小売りなどに強みがあるわけではない。むしろ、弱みを目立たなくするために行われていることの方が多いのです。農業が6次産業化して経済や社会を変える可能性は、ないとは言いませんが、現実的なこととは思えません。
今、日本農業は離農者が増加する一方の変革過程にあります。TPPが導入されようが導入されまいが、この流れは止まらないでしょう。
しかし、それでも日本農業は生き残ると私は考えています。信じていただけないかもしれませんが、意外と農家は柔軟なのです。
高度成長期、「第2種兼業農家」(農業所得が「従」である農家のこと)が急増したのはなぜでしょうか? 農業だけやっていては食えないという経済状況があったからです。ところが、彼らは離農することなく、農業機械の出現を機会と見て、勤めに出ながら農業を続けるというビジネスモデルを作り出しました。
そうした農家の適応戦略が現在のコメ問題を作りだした元凶ではあるのですが、何百万とある農家が数年で事業を再構築したのは紛れもない事実です。
これからは、農家の適応戦略は兼業農家化よりもはるかに多様性に富んだものとなるでしょう。6次産業化した農家はすでに存在していますし、これからもそれなりに出てくるでしょう。その意味で、少々批判的な書き方はしましたが、6次産業化の論理も私は否定しませんし、6次産業化を目指したい方から助言を求められれば、期待に沿えるよう努力します。
ただ、選択肢は必ずしも6次産業化だけではない。他にもあるのです。そして、機会はいつ来るのか分かりません。
そんなことを考えなから、私はキャッシュフローに脅えながら農業を続けています。
最後に、最近私が耽読している中世イタリアの思想家、マキァヴェリの言葉を引用して、「ドラッカーで読み解く農業イノベーション」を終わりたいと思います。
<人間は運命のまにまに身をまかせていくことはできても、これにはさからえない。また運命の糸を織りなしていくことはできても、これを引きちぎることはできないのだ。
けれども、なにも諦めることはない。なぜなら運命が何をたくらんでいるのかわからないし、どこをどう通りぬけてきて、どこに顔を出すのか見当もつきかねる以上、いつどんな幸福がどんなところから飛び込んでくるのかという希望をもちつづけて、どんな運命にみまわれても、またどんな苦境に追い込まれても投げやりになってはならないのである。>
(永井三明訳『マキァヴェッリ全集第2巻 ディスコルシ』筑摩書房)
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