問題は「24分の2」に矮小化、残り22項目の議論を聞いたことがあるか
2011年3月7日(月) 日経ビジネス 三橋貴明
そろそろお気づきの読者も増えているかとは思うが、実は日本における「TPP(環太平洋経済連携協定)問題」とは、農業の問題でもなければ、家電や自動車などの輸出産業の問題でもない。ついでに書くと、日本にとってTPPとは、実は関税の問題でさえないのだ。
何しろ、第1回『「平成の開国」意味分かって言ってる? TPPとは「過激な日米FTA」にほかならない』の図1-2で示した通り、日本の平均関税率は農業を除き、アメリカよりも低い。日本は現時点で、アメリカ以上に「開国」しているというのが現実なのだ。すなわち、日本が関税を撤廃しても、アメリカは農産物の輸出以外に、ほとんどメリットがないように思えるわけである。
それにも関わらず、アメリカには日本にTPPに参加してもらいたい理由がある。それは単純明快。アメリカは自国の雇用のために、日本に「非関税障壁」撤廃して欲しいのだ。すなわち「規制緩和」である。
「サービス(金融)」を追加したのはアメリカ
まずは、現在TPPで「作業部会」として設置されている分野についてご紹介しておこう。何しろ、大手メディアの報道姿勢が極端に偏っているため、読者の多くはTPPで協議されている分野は「農業」と「製造業」のみであると、誤解しているのではないだろうか。
現実はさにあらず。
何と、TPPにおいて作業部会として協議されている分野は、現時点で24にも及ぶのだ。工業も農業も、それぞれ「24分の1ずつ」に過ぎない。経済産業省は24分の1の「工業」を取り上げ、「日本のGDPが何兆円増える」と気炎を上げ、農林水産省は、これまた24 分の1の「農業」の立場を代弁して「GDPが何兆円減る」と悲鳴を上げる。しかし、工業にせよ、農業にせよ、包括的なFTA(自由貿易協定)と言えるTPPにおいては、それぞれ24分の1のテーマに過ぎない。
さて、図5-1で「黒抜き」になっている部分、すなわち「サービス(金融)」及び「投資」は、もともとTPPに含まれていなかった分野である。
例えば、金融サービスについては、現在のTPP協定(ブルネイ、シンガポール、チリ、ニュージーランドが締結済みのもの)には含まれていない。サービスの自由化範囲について記載された、TPP協定の第12章において、金融は航空輸送サービスと共に「適用されない」と記されている。
それにも関わらず、現在のTPP作業部会には「サービス(金融)」が追加されている。果たして「誰が」追加したのだろうか。
もちろん、アメリカである。
アメリカは以前から、日本の金融市場の一部における「非関税障壁」を問題視していた。例えば、2010年3月に米国通商代表部(USTR)がアメリカ議会に提出した報告書の一部には、以下の記載がある。(以下は、日本に関連する部分を衆議院調査局農林水産調査室が翻訳したものを、雑誌「農民」が掲載したものからの引用である)
『2010年外国貿易障壁報告書』
◆サービスにおける障壁
保険
共済
協同組合が経営する保険事業、すなわち「共済」は、日本における保険業界において相当な市場のシェアを保有している。
共済の中には、原則として全ての民間保険会社を規制している金融庁(FSA)に代わり、当該組織を所管する省庁(例えば農林水産省や厚生労働省)によって規制されている組織がある。
これらの別々の規制スキームは、企業や保険契約者に対して合理的で透明な規制環境を提供する日本政府の能力を損なうものであり、競争相手の民間企業にとって不公平な業務上、規制上、税制上の優位性を共済に与えている。米国政府は、公平な競争の確保や消費者保護のため、共済に関する規制の基準・監督を競争相手である民間企業と同じ条件にすべきであると考えている。(中略)
また、金融庁以外の省庁により規制されている共済に関しては、日本の保険市場において拡大し続けることを米国政府は憂慮しており、これらの共済を金融庁による監督下に置くことを日本政府に対し、求め続けていく。(後略)』
アメリカの金融サービスは、「未開拓」である日本の共済分野や、あるいは簡保の分野への参入を虎視眈々と狙っているのである。そのためには、日本の同分野における様々な規制、すなわち非関税障壁が不都合である(アメリカにとって)。だからこそ、TPPの作業分野に、それまでは除外されていた「サービス(金融)」が、突然、出現したのではないだろうか。と言うよりも、ほかに理由の推測のしようがないわけだ。
また、投資分野に目を移すと、そもそも外国人に国内における投資を自由に開放することは、国益を害する可能性があるとして、WTO(世界貿易機関)においても自由化対象外となっている分野である。例えば、港湾や空港、水道、交通分野など、国家の国防や安全保障に関わる分野における投資は、「サービスの自由化」などとは違った側面を持っているわけだ。さらに言えば、農地への投資を外国企業に開放し、加えて食料の加工、流通分野まで外国企業に握られてしまうと、これまた国民の安全保障に関わる問題になる。
アメリカは1994年に成立したNAFTA(北米自由貿易協定)において、投資の自由化を盛り込むことに成功した。結果、カナダやメキシコは、特に「付加価値を生む分野」において、アメリカ資本を受け入れざるを得なくなってしまった。
その後、アメリカは1995年にWTOのTRIM協定(貿易に関連する投資措置に関する協定)に、投資の自由化を追加しようとした。だが、主に発展途上国が反対し、不十分な成果に終わった。1998年には、アメリカは今度は多国間投資協定構想(MAI)により、 OECD(経済協力開発機構)における投資自由化を実現しようとした。ところが、10月にフランスのジョスパン政権が参加取り止めを表明し、失敗に終わった。さらに、アメリカは2003年に、米州自由貿易地域(FTAA)において、投資ルールの問題を扱おうとしたが、ブラジルがWTOにおける協議を望み、またもや失敗した。
『24分の1』対『24分の1』という語り口
要するに、アメリカが貿易協定などにおいて、投資の自由化を求めるのは「いつものこと」なのである。とはいえ、投資の全面自由化は国益と衝突するケースが少なくなく、各国は(アメリカ以外は)常に慎重姿勢を保っている。
例えば、OECDでは一応「資本移動の自由化に関するコード」において、直接投資の自由化義務が課されている。だが、各国は投資の自由化について留保することが可能になっており、実際に多くの国が留保している。
さらに、FTAなどの2カ国間条約の中には、相手国から自国への投資に際し、最恵国待遇を約束しているものもあることはある。だが、さすがに内国民待遇まで認めている条約は多くない。多国間貿易協定における投資に関する原則も、投資全般のルールこそ定めるものの、最恵国待遇や内国民待遇を強制するものは、ほとんどないというのが現実だ(NAFTAを除く)。
TPPに関して言えば、もちろん既存の協定には「投資の自由化」は含まれていない。ところが、なぜか24の作業部会の中に「投資」が含まれている。
誰が追加したのだろうか。言うだけ野暮な気がするが、もちろんアメリカだ。
そもそもTPPの概要は、これまでは「『投資を除くと』自由化レベルが極めて高い協定」と説明することができた。ところが、いつの間にか作業部会の中に「投資」が入り込んでいるわけだ。これまでのアメリカの手法を考えると、TPP拡大に際して投資の自由化をも盛り込もうと意図していると考えて間違いないだろう。
極めて問題に思えるのは、上記のような情報が国民にオープンにされないまま、「農業対大手輸出企業」、すなわち「『24分の1』対『24分の1』」という語り口で、国内のTPP報道が続けられていることだ。金融サービスの自由化にしても、投資の自由化にしても、まさしく国論を二分するような重大事項である。それにも関わらず、この手の情報がマスコミはもちろん、政府からも一切出てこない。異常である。
「究極の構造改革」こそがTPPの本当の姿
異常といえば、そもそもTPPとは、既に存在している協定なのだ。すなわち、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールの4カ国が参加し、2006年に発行した貿易協定こそがTPPなのである。
TPPが存在する以上、当然ながらTPP協定の規約も実在していることになる。(当たり前だ)ちなみに、TPPの原文(英語版)は以下で読むことができる。
【TRANS-PACIFIC STRATEGIC ECONOMIC PARTNERSHIP AGREEMENT】
不思議なことに、首相が「平成の開国」と言い出してから半年以上が経過しているにも関わらず、未だにTPPの日本語版が公開されない。日本国民は、原文を自国語で読むことなく、「平成の開国」というスローガンを信じ、TPPへの参加を決断しなければならないのだろうか。
TPPとはそもそも、
「例外品目なしで、100%自由化を実現する過激なFTA」 である。
しかも、日本とアメリカが参加した場合、両国のGDPを合計すると全体の9割を超えるわけである。事実上の「過激な日米FTA」であるということは、第1回で書いた通りである。
TPPの自由化対象には、農産物や耐久消費財等の製品の貿易はもちろん、サービス、政府調達、知的財産権、衛生植物検疫問題(図5-1のSPS)など、社会構造に関わる問題も多数含まれている。TPPに日本がこのまま参加した場合、わが国の社会の構造は大きく変えられてしまうことになる。まさしく「究極の構造改革」こそが、TPPの本当の姿なのである。
「政府調達」に大いなる懸念
アメリカは1989年の日米構造協議以降、様々な形で日本に「構造改革」を要請してきた。93年には日米包括経済協議が始まり、94年以降は年次改革要望書に姿を変えた。年次改革要望書は、なぜか09年以降は公開されなくなってしまったが、またもや形を変え、わが国に突きつけられたアメリカからの「構造改革」の要望こそが、TPPなのだろうか。
ちなみに、2008年までのアメリカからの年次改革要望書は、今でも普通に読むことができる。その中には、郵政民営化や法科大学院の設置、労働者派遣法改正などに関する「アメリカの要望」が含まれており、日本国民が読むと吃驚すること請け合いだ。
それはともかく、TPPの24の作業分野の中で、さらに1つ、大いに懸念せざるを得ない分野を挙げておこう。それは「政府調達」だ。
政府調達分野において、現在のTPP協定(シンガポールなどが締結しているもの)がそのまま適用された場合、公共事業の国際入札の下限が、現行の政府調達協定(WTOのルールに沿っているもの)よりも引き下げられる可能性があるのだ。特に、地方における公共事業が危険である。
何しろ、現在の地方自治体の公共事業における建設事業の国際入札範囲は、23億円(WTO基準による)である。ところが、これがTPP協定に沿うことになると、7.65億円(500万シンガポールドル)にまで引き下げられてしまうのだ。すなわち、地方における 7.65億円以下の公共事業については、外国企業を「内国民待遇」しなければならないことになる。
内国民待遇とは、外国企業を自国企業並に優遇し、非関税障壁を撤廃するという究極の自由化だ。地方自治体は外国企業に不便がないように、公共事業の公文書を英語でも作成しなければならなくなってしまう。(すなわち、非関税障壁の撤廃だ)
『平成の開国』どころか『平成の壊国』
また、サービス分野における公共事業の国際入札範囲は、やはりWTO基準に沿い、現行は中央政府が6900万円、地方自治体が2.3億円だ。これがTPP協定に沿う形になると、中央政府・地方自治体共に750万円と、敷居が一気に引き下げられてしまう。
こう言っては何だが、市町村等の自治体が750万円「程度の」サービスの事業を行おうとした際に、外国企業を内国民待遇するために、わざわざ英語の公文書を作成しなければならなくなるわけだ。
ここまで来ると、だんだんバカバカしくなってくるが、これがTPPがもたらす「可能性」の1つであるのは間違いない。何しろ、現行のTPP規約がそのようになっているのである。
とりあえず、事務作業(何しろ公文書の英訳が必要だ)が公共事業の実務を煩雑にし、国内の事業がますます縮小することになるか、少なくとも事業開始が遅延するのは確実だろう。特に、地方のインフラ整備などを請け負っている中小企業は大打撃を被ることになる。
挙句の果てに、人件費が安い他国の企業と、地方の公共事業において競合させられる可能性さえあるのだから、
「『平成の開国』どころか『平成の壊国』だ!」
などと、罵声が飛び交う羽目になるのは、ほぼ確実である。
繰り返しになるが、問題なのはTPPの現行規定でもなければ、アメリカの構造改革要望でもない。この手の情報をひた隠しにし、「平成の開国」などというスローガンでことを進めようとする現行政府の手法だ。
そして、TPP問題を「農業 対 製造業」と、矮小化したスタイルで国民に意識させようとする、メディアの報道姿勢である。農業及び製造業「以外」の部分。すなわちTPPの作業部会の「24分の22」について、ほどんと報じず、論じず、日本社会の構造が大きく、しかも悪い方向に変わってしまったとき、果たして現行政府やメディアは日本国民に対してどのように責任を取るつもりなのだろうか。