「平成の開国」におびえる日本農業に活路!?
2011年03月10日(木) 毎日フォーラム
日本の農水産物や加工食品などを、中国に輸出しようという取り組みが農林水産省を中心に進んでいる。日本からの輸出はこれまで、価格の高さが障害になって増えていなかったが、2020年には1億人を超えるとされる中国の富裕層の出現が貿易環境を変え、中国企業が高品質の日本ブランドに目を向け始めた。
すでに昨年12月と今年1月に相互訪問し合うなど両国間の交流の機運は高まり、中国側からは北京に常設の展示即売施設を設けるという提案も行われている。関税撤廃が求められるTPP(環太平洋パートナーシップ協定)参加による「平成の開国」が大きな政治課題になっている中で、日本の攻めの農業への活路を見いだせるかが注目される。
中国農業発展集団と覚書が調印された。
右が筒井信隆副農相=10年12月9日
中国農業発展集団と覚書が調印された。右が筒井信隆副農相=10年12月9日
中国への農産物輸出が国を挙げて動き出したのは、昨年7月に民主党内に農産物や農産加工品を世界へ輸出しようという勉強会が立ち上がったことがきっかけだ。
鹿野道彦農相と筒井信隆副農相、農政に詳しい一川保夫参議院議員らが中心になって始まり、農水省の事務方も加わった。
回を重ねるうちに「食文化も似ていて、距離的にも近い中国への輸出がいいのでは」という話になり、勉強会には中国大使館の書記官、中国のシンクタンク、中国への輸出などを手掛けているコンサルティングも参加。農水省が中国のさまざまな農水産物のデータを提供したが、同省側からは「中国は有望市場だが、輸出相手の見極めが必要で、独特の商慣習もある」などという報告もあったという。
その後、中国側参加者などから「北京にアンテナショップ的な施設を作ってはどうか」という提案があり、関心を示している企業として「中国農業発展集団総公司(中農集団)」が紹介された。
中農集団は04年に設立された中国国務院直轄の国営企業。総資産150億元(約2000億円)、従業員8万人という農水産業分野では中国最大の企業だ。40以上の海外支店を有し、約80の国・地域と農水産物などの貿易をしている。当初は畜産業や水産業から始まった組織だが、有機栽培事業や機械(ディーゼルエンジン)製造事業、金融サービス業まで業態を広げている。
さらに中国側から筒井副農相を中国に招きたいという話が出た。尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件をきっかけに両国関係がぎくしゃくし、政府間、民間双方の交流が停滞していた中で、昨年12月8日、筒井副農相らの訪中が実現した。中国側の高い関心を示していることの表れだった。
一行は北京市内で「天竺物流センター」と「全国農業展覧館」を見学した。天竺物流センターは北京空港から車で5分という近さで、敷地面積は10万平方㍍。検疫施設が隣接しており、通関も可能で保税倉庫としての活用が検討されているという。全国農業展覧館は中国の農水省に当たる中国農業部の直轄で、日本の農産物などの展示、即売会場として提案された。地上2階地下1階建て延べ床面積は5000平方㍍という広さで、北京空港から車で約20分の距離。周辺には海外の大使館や五つ星のホテルがある。
その後の中農集団の劉身利・薫事長(会長)との意見交換では、劉薫事長から日本のコメや牛肉、乳製品、野菜、果実など輸入に関心があることが表明された。そのうえで、全国農業展覧館を日本の農産物や加工食品を展示、即売する施設として提供し、さらに同様の施設を北京に数カ所開設することや農業分野などで技術交流を進めたいという提案があった。
日中が冷え込む中、副農相訪中
中農集団と輸入拡大へ覚書締結
筒井副農相は「コメを当面20万トン、将来的には100万トンの輸出を目指したい」と意欲を見せた。そして他の品目も含めて日本が中国にとって食料の安定供給基地になれるように継続的な関係を構築していくが必要だとの考えを表明。その席でお互いに事業を前進させることに合意し、筒井副農相と劉薫事長の間で日本産農林水産物・食品の輸出拡大などを内容とする覚書が結ばれた。
覚書には、
1.中農集団は日本の農水産品加工食品の輸入拡大を積極的に進める
2.中農集団は日中農業交流促進のモデル事業として常設展示館を設ける
3.農水省は中農集団の研修生の派遣や農林漁業技術の修得に協力する
4.農水省は中農集団の食品安全基準作りに協力する
5.農水省と中農集団は定期的に意見交換を行うこと
---などが盛り込まれた。この覚書について「中国国内での食品安全基準作りが盛り込まれた意味は大きい」と専門家は指摘する。
その後、筒井副農相は中国農業部の牛盾副部長(副大臣)とも意見交換し、日本産農産物の輸出への協力を要請。コメの輸出拡大に向けた薫蒸処理の再検討や、日本で発生したBSE(牛海綿状脳症)問題で輸入が中断している牛肉などの輸入解禁に向けた早急な検討を求めた。これに対し牛副部長は、日本と中農集団の農産物取引に期待感を示し、日本側の要望については検疫当局に検討を指示するとともに、牛肉・乳製品については科学的な根拠に基づいて再検討することを表明した。
このほか牛副部長からは「競馬を導入予定だ。日本のノウハウを教示してもらいたい」「食品安全分野での農業投資への日本側の協力をお願いしたい」という要請もあったという。中国側はまず日本米の輸入の拡大を考えており、農水省側の意向と合致した形だ。
JA新潟市低温倉庫を視察する中国農業発展集団の一行=1月27日
覚書を具体化するため今年1月26日から29日にかけて、鹿野農相の招きで劉董事長ら中農集団幹部が来日した。劉董事長らは26日に茨城県つくば市の農業者大学校を視察。27日には新潟県内の十日町ベジパークや新潟市中央卸売市場、JA新潟市低温倉庫などを見学し新潟産コシヒカリを試食した。28日には都内にある京都府や北海道、山形県のアンテナショップを視察した後、都内のホテルで開かれた「中国輸出促進会議」に出席。29日には東京都府中市の東京競馬場を視察して帰国した。中農集団はもともと畜産業や水産業から始まった組織で、そうした経緯から競馬に関心を持っているとみられている。
1月28日に開かれた「中国輸出促進会議」には、農産物などの生産団体や加工食品メーカー、各県の農林水産部、サプリメント企業などから400人が参加。農水省の筒井副農相は「攻撃型の農政を目指し中国市場を中心として農林水産物などの輸出を強力に推進したい。将来的には100万トンの中国へのコメ輸出を目指したい」とあいさつした。劉董事長は「経済発展に伴い優良な食品の需要が高まっている。中でも日本の農産物、食品への関心が高い。日中が協力して中国市場を開拓していきたい」と述べ、日本の農産物などの輸入に期待を表明した。
関係者によると、コメを中国に輸出する場合、日本のコメについているとされるカツオブシ虫の薫蒸が必要となる。その薫蒸施設は横浜市に1カ所あるだけで、処理能力も年間3000トンと低いため、農水省は全国に8カ所程度の薫蒸施設を作ることを検討している。設備不足もあり昨年1年間のコメの対中国輸出はわずか96トンに過ぎない。将来的に100万トンの輸出量に持っていくためにはさらに増設が必要となる。
農水省は中農集団と連携して戦略的なマーケティングなどを進める「中国輸出促進協議会」の設立を検討している。さらに与党・民主党は3月にも地方自治体や生産団体、食品加工業者からなる訪中団を検討している。
昨年12月に訪中した関係者は「日本に来る中国人観光客に電気炊飯器が人気で、飛ぶように売れており、そのことからも米飯への関心の高さが分かる。安心で品質のいい日本のコメは十分競争力がある。対中国輸出が増えれば、低迷する米価を維持することにもつながる」と話している。
消費増大で中国の農水産物貿易は輸入超過
果樹、花からラーメンまで各地に輸出機運
この30年間に平均約10%という高度経済成長を遂げてきた中国。日本の「通商白書」は成長に伴い富裕層が増加し、20年には1億人を超えると予測している有望市場だ。
国民の食生活のレベル向上で中国の農水産物貿易は、輸出・輸入ともに年々増加している。中国政府の統計によると、08年の輸出額は405億ドル、輸入額は587億ドルと、182億ドルの輸入超過になっている。輸出相手国は日本が最大で77億ドルとなっている。
一方、日本の農水産物の輸出先をみると、09年で1位が香港の991億円、次いで米国731億円、台湾585億円で、中国は4位で465億円にとどまっている。対中輸出の内訳では加工食品と水産物が7割を占めている。10年1~11月では中国への輸出が前年比20% 増と大幅な伸びになっているが、生産者団体や加工食品メーカーなどが個々に続けているのが現状だ。
北海道漁業協同組合連合会は「道産水産物を世界へ」をキャッチフレーズに、北海道ブランドの水産物を全世界に輸出し、中国へは秋サケやコンブなどを輸出している。国内での魚価低迷の対策と国内で需要のない魚種やサイズ品の販路拡大のために輸出に取り組んだことがきっかけという。輸出によるプラス効果としては、秋サケの単価(浜値)が04年1キロ当たり213円だったのが、09年には317円に上昇したという。
また、北海道のホクレン農業協同組合連合会やホクレン通商はLL(ロングライフ)牛乳を上海、香港などへ輸出している。当初、顧客は在留邦人や香港の一部富裕層だけだったが、きめ細かな販売対策を進めた結果、今では日系デパート、量販店だけでなく地元スーパーやコンビニエンスストアにも並べられるようになった。
08年の中国産粉ミルクのメラミン混入問題で、香港政庁は中国LL牛乳を禁輸したことから、日本製品の香港への輸出数量は2・7倍に急増したこともあった。09年度には上海など7都市9店舗でLL牛乳の販促セールを実施。この結果、前年に比べて2・3倍ほどに増えたという。
青森県では「同県農林水産物輸出促進協議会」が中心となって04年から、中国や中東、ロシア、アメリカを対象にリンゴ、ナガイモ、ホタテなどを輸出している。コメについては07年度から「青森県産米輸出研究会」が中心とって、県産米の販路開拓に取り組んでいる。中国からバイヤーを産地へ招き商談会を開催している。
岩手県の水産物加工会社「川秀」は、北海道や青森、岩手に水産加工場を設置し、三陸産のアワビやナマコなどを乾燥品にして02年から輸出を開始。中華料理の高級食材として、中国への輸出実績を伸ばしている。取引が増えたことにより、浜での買い取り価格が上がり漁業者の収入増につながっているという。
福島県の「同県会津喜多方物産協会」は、みそやしょうゆ、ラーメン、農産物加工品などの喜多方市の特産品を中国や台湾、香港へ輸出している。会員の酒造業者が欧米や中国などへ日本酒などを継続的に輸出していたことから、日本酒以外の農産物についても輸出しようという機運が高まり07年度から輸出に取り組んだ。09 年度は福島県や福島県貿易促進協議会などと連携しがら、上海市や台湾・台北市、香港の百貨店などで「喜多方物産フェア」などを開催した。
日本一の花き生産県である愛知県の卸売市場「豊明花き」は、洋ラン鉢物を中国や中東へ輸出している。卸売市場の特性を生かして、県内だけでなく日本中で生産された秀逸な花き鉢物を紹介している。長野県の「信州下伊那くだもの直販」は09年から、市田柿(干し柿)やなしなどを台湾や中国へ輸出している。中国では「りんご・なしのフェア」を開催したこともある。
このほか、兵庫県の「財団法人神戸みのりの公社」は、100%神戸市内産の欧州系ワイン専用最高級品種を原料とする神戸ワインを中国や香港などへ輸出する。このワインは、本場フランスの超難関とされるワイン醸造の国家資格であるエノログを取得した醸造士が、「神戸ブランド」としてボトルやラベルにこだわったワインづくりを手がけているもので、富裕層に受けているという。09年度は中国(上海市)で1万270本が販売された。今後も高額・高品質商材を神戸ブランド商品として販売を展開する予定だ。
農水省はこうした全国の生産者や加工業者を、今後設立を予定している「中国輸出促進協議会」に取り込んでいく考えで、官民一体の〝国家プロジェクト〟として日本の農水産物の中国輸出戦略を進めていくことにしている。