3月18日(金)産経新聞 15時24分配信
□ 関大社会安全学部・河田教授
日を追うごとに甚大な被害が明らかになる東日本大震災。過去最大級といわれる今回の地震の特徴は何なのか。なぜ多大な犠牲者が出たのか。関西大学社会安全学部の河田恵昭(よしあき)教授(巨大災害論)に聞いた。(北村理)
--過去に例をみないマグニチュード(M)9・0の大地震となったが、発生の構造は
河田 被災地の200キロ沖にある太平洋プレート(岩盤)と北米プレートの境界にある岩手沖、宮城沖、福島沖の3つのセグメント(断層帯)が南北に並んでおり、それが6分間にわたり(阪神大震災は15秒間)順次壊れていき、南北500キロ東西200キロにわたる巨大地震となった。今後警戒すべきなのは、東日本大震災の北側の、まだ地震が起きていない、三陸北部から北海道にかけての震源域だろう。
--今回の地震の特徴は
河田 特徴はふたつある。ひとつは地震がこれまで起きなかった空白域から破壊が始まり、思いもよらず広範囲に地震が広がったことだ。もうひとつは巨大なエネルギーにより、沿岸部の被災地ほぼ全域で地盤沈下が起きたことだ。過去の三陸沖の地震では地盤沈下は起きていない。
--巨大なエネルギーは大津波の原因にもなった
河田 映像で見る限り地震動による建物被害は大きくなさそうだ。それよりも津波の被害だ。波の高さは10メートルの堤防を軽々越えた。津波は10~20メートルとかいわれているが、被害状況をみているとそんなレベルではないだろう。地震のエネルギーから考えると、明治29(1896)年の明治三陸沖大津波(M8・5、死者2万2千人)の4倍以上のエネルギーだから、津波の最高到達点は約50メートルぐらいの所があったのではないか。
--避難状況をどうみるか
河田 生死を分けたのは何だったのか。今後、無事だった人に話を聞く必要がある。避難の様子を映像でみていると津波への認識が人によって異なっていた印象はある。ウイークデーの昼間という時間帯もあるのだろうが、避難誘導する人も少なかったようだ。最初の地震動による家族間の安否確認などで、逃げるのが遅れた可能性もある。またあれほどの津波だと、地震が起きた時点ですぐに後背地の高台にでも逃げないと、安全とはいえなかっただろう。
--今回の地震では関係機関から「想定外」が強調されているが
河田 明治三陸沖大津波のときは、体感震度が小さく、避難率はほぼゼロに近かったため、単純な比較はできない。しかし、地形的に、被災地はリアス式海岸で、さらに遠浅であり、津波が大きくなる条件がそろっている。三陸沖で地震が起きれば、津波の被害は小さくない。現実をわれわれはもう少し厳しく受け止めるべきだ。
--近い将来、関西では東海・東南海・南海地震の発生が懸念されている。街中での人工地盤設置や住宅の高地移転など抜本的な対策を考えるべきではないか
河田 今のままでは関西、四国、九州でも東日本大震災と同じような被害が起きる可能性がある。被害想定を小さく見積もっていた所の対策の見直しや、沿岸部の住宅地の後背地への移転など抜本的な改善が必要だろう。こうした広範囲にわたる一元的な対策は、地方自治体の自主的な取り組みや連携だけでは不可能だ。災害対策基本法を抜本的に見直し、国の責任を明確にすることが必要だ。包括的な政策をとるために、各省庁横断的な災害対策庁(仮称)の設置なども議論されていい時期だろう。