小林幸子
2011年8月9日 ゲンダイネット
大御所とのコンビで大ヒットを飛ばしてきただけに…
<小林幸子(歌手)>
今年デビュー48年目を迎える。3日に兵庫県西宮市内で32年ぶりに歌唱キャンペーンを行い、所ジョージから初めて楽曲提供された「恋のかけひき」も披露した。昨年、番組で会った際に曲を依頼したという。
これまで遠藤実や星野哲郎など、大御所中の大御所と組み、数々のヒットを飛ばしてきた。それなのに、C調男の所の楽曲で、大丈夫なのか。
1953年、新潟市生まれ。母・イツ(01年7月心筋梗塞で死去)が、終戦後、「日本は魚の国だけど、これからは肉の時代」という先見の明で「小林精肉店」を開店。行列ができるほど繁盛し、父・喜代照も会社を辞めて手伝うようになった頃、3人姉妹の三女として生まれた。
9歳の時に、父が「東京見物に連れていってやる」と一緒に上京した先が、東京タワーや皇居ではなく、TBSのテレビ番組「歌まね読本」の予選会場(江東公会堂)だった。父が内緒で出したはがきで出演が決まり、小林は美空ひばり、畠山みどりらのモノマネで予選はラクラク通過。とうとうグランドチャンピオンに輝いた。すぐに番組の審査委員長の古賀政男にスカウトされるが、母親から強く反対される。しかし、小林自身が「やってみたい」と告げると、ガンコ者の母は一変して最大の理解者になってくれた。
10歳で古賀作曲の「ウソツキ鴎」でデビュー、20万枚のヒットとなる。天才少女と脚光を浴びるが、その後は長い試練が待っていた。大人への脱皮で壁にぶつかり、鳴かず飛ばずの状況に。15歳から年齢を偽って全国のキャバレーを回った。16歳から21歳まで、レコードすら出せない不遇の時代を送る。雑誌でヌードになるなど、たばこと酒で荒れていた日々もあった。だが、やがてチャンスが訪れる。79年「おもいで酒」の200万枚の大ヒットで紅白初出場も果たした。
翌80年には、「母の歌を」という思いがかない、「雪椿」も大ヒット。92年から紅白で美川憲一との衣装対決も話題を呼ぶなど、話題に事欠かない。
実は、今回の所からの楽曲提供以前に、槇原敬之作詞・作曲の「悲しみの帳(とばり)」をリリースしていた。3年前の芸能生活45周年記念の時だ。当時の新聞でこう語っている。
「45周年は、歌い続けた演歌から離れて、好きな歌を歌いたいと思った。槇原さんの歌には常々共感し、一度、一緒にお仕事をしたかった」(08年10月、毎日)
<演歌以外にも果敢にチャレンジ>
また親交のある女優の倍賞千恵子の夫で作曲家の小六禮次郎氏の作曲、女子十二楽坊演奏の「楼蘭」を発表するなど、演歌以外のジャンルにも果敢にチャレンジしている。
今回の所の楽曲「恋のかけひき」は、ポップ調で、理屈じゃない男と女の恋心を軽やかに歌い上げる。所はこれまで、八代亜紀に「女心と秋の空」「お酒を飲んで…」、山本譲二に「二度惚れの女」など、大物演歌歌手に提供してきた。情感ドップリの演歌から、ちょっと引いているところが、演歌歌手には新鮮なのかもしれない。
「恋のかけひき」のレコーディングは、折しも東日本大震災が起きた3月11日。「録(と)った後に揺れました。一生、忘れられない曲」になった。ヒットよりも先に、この曲にまつわる思い出が優先したようだ。